SAMPLE
うららかな日
ニャモニ
「ほら、毎日部屋に閉じ籠もっているから。歩き方、忘れちゃったんじゃない?」
階段でローブの裾を踏んづけてよろけてしまった、自分より背の低い彼の腕を掴んで引き寄せる。
触れた腕はがっちりとして骨も太く、筋肉質な感触を返す――が、心なしか細くなった気がする。食事もまともにしていないという話は真なのだろう。
何だか、久々に触れた気がする。
「……部屋の中を歩くくらいはしていたさ」
太陽の下、眩しそうに目を細める紅の瞳。陽の下で彼を見たのもいつ以来だろう。
少し、顔色も悪く見えた。
ベーク=ラグを協力者として迎え、暁の皆を元の世界へと帰すための研究は一進一退を繰り返していた。水晶公は研究に没頭していたものの、あまりにも根を詰めすぎて倒れかねない!と
水晶公を慕う近衛兵をはじめ、顔を合わせる機会が減ったミーン工芸館の面々から何かあるのではないかと直談判があったほどだ。
それほど、水晶公とはこのクリスタリウムの礎であり、愛されている守護者で。彼が無茶をしていることなど、ここの民たちには隠しきれないのだろう。
少しは休んでもらおうとライナたちが声をかけても、水晶公は自分の行動の結果で暁のメンバーたちを命の危険に陥れてしまった自責の念もあってか、「ダメだ」と一歩も引かず埒が明かなくて。
最後の手段として私こと、彼の【一番憧れの英雄】に白羽の矢が立ったのだった。
「……皆を苦しめる原因を作った私が遊びに出るのは……やはり、心苦しい」
二人乗りのベンチがついた可愛らしいでぶモーグリのマウントを呼ぶ。
ここまで来ておいて、躊躇うとは良い度胸だ。
でぶモーグリと繋がってゆらゆら揺れる手すりに寄りかかり、水晶公から顔を背ける。
「今日はいつもより早く起きて頑張ったのに……」
はあ。と、深いため息と共に悲しそうに背中を丸める。我ながらベタな演技だ。
中身の詰まった籠をベンチの上に置く。
「す、すまない。それは、その……」
「ラハが食べないなら、そのへんのグレムリンにでも投げつけ――」
バスケットの蓋を開けてナプキンを引っ張り出すと、慌てた様子で身を乗り出す。
「行く! 行く。悪かったっ」
こんな下手な演技でも慌ててくれる可愛い人は、反省を示すように耳を伏せた。
本心から行きたいわけではなさそうなのが癪に触るけれど、その可愛い顔を陽の光の下で久々に見られたのだから、許してあげよう。
夜を再び知った大地は、訪れる闇に包まれ暫くぶりに空気を冷やす。その冷えた空気は、正常な陽の光によって温められていく。
そんな当たり前が、当たり前ではなかった世界。
昨夜遅くに降った雨は、目覚めた太陽に照らされて空に湿った草の香りを含ませる。
空気中の埃が一度地面に流され、レイクランドの紫水晶のような植物たちは、より一層輝きを増す。
夜を取り戻してからも慌ただしくて。原初世界よりも長く過ごした大地の変わりようを、こんなにゆっくりと眺めたことはなかったかもしれない。
「どこまで行くんだ?」
ゆっくりと浮遊するでぶモーグリに繋がれた二人乗りのベンチ。ゆらゆらした揺れに任せたまま足が空を撫でる。
ジョッブ砦を過ぎる時、たっぷりな灰色の髪をなびかせたヴィエラ。ライナの姿が見えた。
警備の仕事――は、建前で。優しいあの子のことだ。心配になって姿を見に来たのだろう。
ゆっくりと手を振って見せると、少しだけ照れ臭そうにいつもの敬礼をして見せた。
よくよく考えてみれば、でぶモーグリのぶら下げたベンチに座る祖父の姿は恥ずかしかったかもしれない……。
「もう少し、先かな」
足場もない不安定な宙に浮いたベンチは真下から吹き上がる風に煽られ、隣に座る彼女の長いスカートを遠慮なくまくりあげた。肉付きの良い長い脚がまろび出る。
思わず視線を両足の合間に向けてしまい、ぎりぎり見えないことを確認してから視線を逸らすと、くすくすと笑い声が響いた。