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SAMPLE


それはきっと、愛の色

 なつめ


「ラハでいいよ、オレもあんたを名前で呼ぶからさ」

 彼の口からその言の葉が零れ落ちたとき、冒険者の世界は瞬く間に色づいた。それはまるで、無彩色の夜闇に囚われた森の木々が、日の出とともに鮮やかな彩りを取り戻したかのように、きらきらとした光とともに彼女の心の奥底までを一気に染め上げたのだった。


 あと少しでドン・ヴァウスリーの待つグルグ火山へと突入する、という局面で休憩する事になった闇の戦士一行であったが、いつの間にか水晶公の姿が見えなくなった。それに気がついた冒険者は、周囲の勧めもあって彼を探す事になったのだが。

(…………)

 眠りこけている水晶公を前に、冒険者はしばし沈黙する。チャイ婦人が「具合が悪そうだった」と言っていたし、最初に見つけた時はまさかと背筋に冷たいものが伝った。しかし、よく見てみれば彼の胸元は穏やかに上下している。それに気づいて、冒険者はようやく水晶公が珍しく眠っているのだと分かった。とはいえこの辺りはモンスターも徘徊しているから、安心する、とまではいかなかったものの。

(疲れてるんだろうなあ……)

 腕組みをした体勢で水晶公を見下ろしながら、冒険者は内心でひとりごちる。彼自身がクリスタルタワーから離れると体調を崩すと言っていたし、それに加えてあちこち走り回った上に戦闘までこなしたのだ。疲れていない訳がない。それでも、彼はどこか嬉しそうにしていた。そんな水晶公の姿は、目深に被ったフードで見えなくても、きっと「あの頃」の彼と違わず、きらきらとした瞳で冒険者を見つめていたのだろう。

(…………いつまで、「他人のふり」に付き合えばいいんだ?)

 第一世界に来て水晶公に出会ってすぐに、彼女は目の前の人物が懐かしき友人グ・ラハ・ティアであることに気付いていた。それ以前にギムリトで次元が繋がった折にも、全体的な立ち姿でもしやと思ってはいたが、それを確信へと導いたのは実際に会った時に感じた、彼の纏う香りだった。
 夜闇で狩りをするムーンキーパーという種族である冒険者の鼻は、いかに香を使おうとも誤魔化せなかったのである。それでも彼女は「何か考えがあるのだろう」と思い「他人のふり」に付き合った。けれど。

「………なあ、ラハ」

 眠る水晶公に向けて、冒険者は小さく呟く。もちろん彼には聞こえていないが、それでいい。彼の意思を尊重する気持ちが無くなったわけではない。彼女はただ、ノア時代の彼が闇の世界に行く前に、掠めるように落としていった口づけの意味、そして、今こうして「他人のふり」をしている事の意味を知りたいのだ。自分はあの頃と変わらずに彼を愛おしいと思っているのに、それは今も昔も単なる片想いで終わってしまうのか。自分は、そして彼はそれでいいのか。
 冒険者はふるふると緩くかぶりを振ると、水晶公の前へと跪いた。

「あれ……あんた、どうして………」

 ぼんやりと寝ぼけた声色で、彼の、水晶公の艶やかな唇から零れ落ちたその言葉に、冒険者は一瞬こわばった表情を浮かべる。かたや水晶公は水晶公で、己の失言に気づき慌てて弁明をしているものの、それらの言葉は彼女の頭には入ってこなかった。

(やっぱり……やっぱりラハなんだ。わたしの知っている、グ・ラハ・ティアなんだ)

 冒険者は、今まで彼がグ・ラハではない別の誰かだという疑いは微塵も抱いてはいなかった。ただあまりにも彼が「他人のふり」を貫こうとするものだから、もしかしたら彼は自分の知るグ・ラハではないのではないか、そんな可能性を考えたことがある。彼女自身が次元の狭間を超え、こうして第一世界に降り立っているのだ。だからもしかしたら今目の前にいるこの男も、グ・ラハではあってもどこか別の次元の彼である可能性は捨てきれないのではないか、と。
 けれど、その可能性はたった今消え去った。水晶公が寝ぼけて言った先ほどの言葉は、紛れもなくあの頃の……ノアの時代、二人でふざけあったあの宝石のようにキラキラした日々のグ・ラハ・ティアそのものだったのだから。


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