kouhika fem anthology logo kouhika fem anthology logo

SAMPLE


憧れは恋の始まり

 明日茶


 憧れだったのだろう、と。
 そう言われてしまえばそうかもしれない。
 眠りにつく前のオレが知る彼女は、蛮神を屠り英雄としての片鱗は現れてはいたもののまだ若く経験も浅い一人の冒険者だった。だが、その心の中には光り輝くものを持っていて、誰だって惹かれずにいられない。この頃はまだそんな魅力的で少し特殊な力を持つだけの普通の女性だった。
 クリスタルタワーの調査中は一緒にいる時間も多く仲も良かっただろうと思う。くだらないことも沢山したし、戦闘におけるスキルの回し方や他ジョブとの立ち回り方など学ぶべき所も互いに多く、あらゆる分野の知識も豊富。夜通し語っても語り足りないくらいにはその存在に傾倒していた。
 だからこそ、眠りにつくその瞬間まで彼女を想い、起きてからも彼女の事を真っ先に探そうとした。

 あんな未来になっているとも思わずに。


◇◇◇


「……水晶公、いま平気?」

 星見の間でいつものように執務に励んでいると扉の向こうから聞こえる遠慮がちな声。誰だなどと問う必要のないくらいには馴染んだ声音に勝手に綻ぶ口元を引き締める必要はもうない。

「ああ、大丈夫だ、入ってくれ」

 闇を取り戻し再生を始めた世界。フードを目深に被り、眩しい彼女をその隙間から見つめる日々は終わった。耳が如実に感情を表してしまうため少し気恥ずかしいが、もう彼女には何も偽りたくはない。自然と溢れてしまう愛しさすら彼女は受け入れてくれたのだから。

「仕事中にごめんね。ちょっと休憩しない?」

 ひょい、と手にしたバスケットを掲げて眉を下げて微笑む姿に折れぬものなどいるのだろうか。

「ライナ辺りに頼まれたかな?すまない、ついキリのいい所までと思い根を詰めてしまった」
「ふふ、それもあるけど。私も心配だったし、ラハに会いたかったから…」

 少し頬を染めて微笑む姿にどうにも耐えられなくなりそっと彼女を引き寄せる。途端に香る甘く優しい匂い。もっと強く感じたくて腕に力を込めてすり、と鼻先を寄せると珍しく彼女から「待って、」と拒絶の声が上がって胸を押された。
 拒まれたことに少しショックを受けてそのまま距離を取ると、彼女は持っていたバスケットをそっと床に敷いた敷布の上に乗せて、改めてこちらに向き直って両手を広げた。

「ん、はい、お待たせ!」
「……、嫌なんじゃないのか?」
「え?嫌なはずないよ!ラハが抱き締めてくれているのを両手で返せないのが嫌だから…」

 彼女は言葉を惜しまない。時間は有限だと知っているからだ。だが躊躇なく放たれる言葉には甘い好意が存分に込められていてこちらの身体をいちいち射抜いてくる。毎回これでは身がもたないのも事実だ。
 表情が崩れないよう気をつけても耳や尻尾が喜びを隠せずぱたぱた揺れるせいで恐らく全て筒抜けだろう。

「可愛い、ラハ」
「あなたの方が…可愛い」

 本当に敵わない。誘われるまま再び抱き締めると背中にそっと回る腕が愛しくて。
 ああ、今日はもうこれで仕事は切り上げてしまおうと心に決めた。


「ちょっとした休憩のつもりだったから軽食しか用意してなかったよ。ラハ、足りなかったんじゃない?」
「いや、大丈夫だ。とても美味しかった、ありがとう」

 タワー内の自室に彼女を伴って戻り、まずは腹ごしらえ。目の前に並んだハムとチーズのバゲットサンドや野菜をたっぷり使ったスープは空腹を思い出させてくれて本当に美味しかった。昼食の時間はとうに過ぎており、なんなら夕刻に差し掛かる時間帯。集中しすぎると全てを疎かにしてしまうのは悪い癖だと自嘲する。周りに心配をかけるのはよくない。特に大切な人の表情を曇らせるような事はしてはならないと己を戒める。何度も泣かせてしまったのだから。


サンプル一覧に戻る